スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

336 索餅 除中

336「傷寒、始発熱六日、厥反九日而利。凡厥利者、当不能食。今反能食者、恐爲除中、食以索餅、不発熱者、知胃気尚在、必愈。恐暴熱來出而復去也。後日脉之、其熱続在者、期之旦日夜半愈。所以然者、本発熱六日、厥反九日、復発熱三日、并前六日、亦爲九日、与厥相応、故期之旦日夜半愈。後三日脉之、而脉数、其熱不罷者、此爲熱気有余、必発癰膿也。」

「傷寒、発熱を始め6日、反って厥し9日して利、凡そ厥して利の者は、当に食する能わず。今反って食能う者は、恐らく除中と為す、索餅を食するを以って、発熱せざる者は、胃気尚在るを知り、必ず癒ゆる。恐らく暴かに熱が来て出で而して復去る也。後日之の脉、その熱続いて在る者は、之期旦日夜半に癒える。然る所以の者、本発熱して6日、反って厥して9日、復発熱3日、前の併せて6日、また9日と為す、厥と相応するを与え、故に之の期旦日夜半に癒ゆる。後の3日の之の脉は、而して脉数、其の熱やまない者、此れ熱気の有余と為す、必ず癰膿を発する也。」

発熱が6日間あり、その後厥して9日間下痢。
厥して下痢の者は、食事をすることができません。
それなのに食事をすることができる人は、おそらく除中でしょう。
索餅を食べても、発熱しない人は、胃気が在ることが分かり、必ず治ります。
おそらくにわかに熱が来て出るけれども、また去ります。
(急激な熱の乱高下が起こります。)
後日、その脉から、その熱が存続している人は、時は夜半から次の日にかけて治るでしょう。
(後3日と書かれている条文でも、後半の発熱3日を指していますから同じことになります。)
その理由は、本来の発熱は6日、厥は9日、また発熱3日、前の発熱6日と後の発熱3日を合わせると9日になり、厥の9日と相応するためです。
後の発熱3日の脉は数です。
その熱が止まない場合は、熱気が有余しているので、必ず癰膿となります。

癰膿は化膿疾患ですから、盲腸でしょうか。

問題は除中です。

厥して下痢、食事のできない人は治りません。
これに対し、厥して下痢でありながら、食事のできる人がいます。
除中は死に際に一時興奮して元気になる状態と解釈される場合もありますが、それでは癒えることができるとは思えません。

厥して下痢が9日間続く場合、普通ならば食事はできません。
胃が塞がってしまっているからです。
しかし同じように厥して下痢していても、食事ができるということは胃気が残っている場合と胃気が絶してしまい胃の塞がりさえもなくなっている場合があります。
索餅を胃に入れると、
発熱しなければ胃気がまだ残っていることになります。
発熱すると除中(胃気が絶して中(胃)が削除されたようになる)と分かります。
その理由は、食べ物を消化しようと陽気を胃に集めますが、胃気が尽きてしまっているので、集められた陽気を消化作業に使うことができません。
そのため集められた陽気は熱として現れます。
しかしその熱は集められた陽気ですから時がたてば消えていきます。
この時の脉証は数です。
そして発熱は、実際に発熱を確認できるのではなく、脉数によって発熱と分かります。

これは食物を胃に入れた時の生理反応を診ているようです。
索餅というのは検索するといろいろ出てきますが、この状況に適した記述は見つかりません。

索餅は、虐(おこり)という流行病に効くとして旧暦7月7日に索餅祭があります。
「七日御節供 内膳司より是を調進す、けふさくべいを用事、ゆへある事にや、むかし高辛氏の小子七月七日に死たり、其靈鬼となりて、人に瘧病をいたす、その存日に麥餅をこのみしがゆへに、けふ索餅をもて是をまつれば、年中の瘧病をのぞくといへり、」古事類苑より歳事部の年中行事に記載があります。

『延喜式』巻三十三「大膳下」には、「索餅料」として材料と必要な道具類が列記されています。
この記述から永山久夫氏が索餅の作り方を推考しており(『日本古代食事典』)、それを箇条書きにまとめると
小麦粉に米粉と塩を混ぜてよく練る
(明注:『延喜式』の記述に従うと、小麦粉・米粉・塩の割合は100:30:9または100:40:3)
できた生地を布に包んでしばらく寝かせ、塩を馴染ませる
生地を薄平たく伸ばし、刀子で細長く切る
切った麺を更に細く伸ばして縄のように縒り合わせる
竹竿にかけて干す
となっています。
ただし岡田哲編『たべもの起源事典』によると、米粉を3割近くも含むと生地が切れやすくなるそうで、細く伸ばして縒り合わせることが可能だったのか疑問視する意見もあります。
食べるときには、蒸したり茹でたりして醤や味醤、酢などを付けたようです。
「源氏物語「源氏物語」原文とその背景を読む」より

高辛氏は紀元前3000年の三皇五帝時代(天皇、地皇、人皇、黄帝、高陽氏、、高辛氏、堯、舜)です。高辛氏は黄帝の孫ですから、索餅の使い方を知っていたと考えられます。そして高辛氏の子供はよく虐になり、そのつど薬として索餅を与えていたことが、その後七月七日の行事になったものと考えます。
そして「恐暴熱來出而復去也」この状態を虐として、これが治まるのは索餅を食べたからと考えたならば、古事類苑の内容につながります。
となると、この336条はとても古いものになります。黄帝が、除中には索餅を与える方を示したことになります。

解釈は下記のようになりました。
「発熱が5~6日あり、その後手足が冷たく下痢が9日間続いています。
一般的には、このような状態では食事はできません。
この食べることができない方が正しいのです。
胃が食事を拒んでいるからです。
もし食事ができるようならば、胃が拒否することなく、胃の存在感がないことになります。その状態を除中といいます。
除中には索餅を食べさせなさい。
もし治る可能性があるならば、索餅を食べてなにも起こらない場合と熱の乱高下を起こす場合があります。
何も起こらない場合は、除中といえども胃気が少し残っていたのでしょう。
少しずつ索餅を食べさせ胃気の回復を待ちましょう。
発熱する場合は、熱の乱高下に驚かず、脉が数であることを確認できれば、夜半から次の日にかけて治るでしょう。
その後脉数が続くような場合は、体内のどこかで化膿していることが考えられます。」

索餅とお粥
お粥は消化がよいというよりも、できるだけ胃腸や肝臓膵臓を働かせないようにする食べ物となります。
つまり咀嚼せずに飲み込みますから唾液の分泌から始まる消化液の分泌が少なくなります。栄養学的には、たぶんお粥の栄養が吸収されにくいことになりますが、漢方的には消化臓器の負担を軽くすることが、身体に良いことになります。
では索餅はどのように考えると良いのでしょうか。
索餅を食べることが除中なのではないでしょうか。
胃腸内を索餅を食べて何かを除くというイメージから、この場合の病気病態を除中と名づけていると考えられます。

スポンサーサイト

この記事へのコメント

トラックバック

URL :

プロフィール

しょうかんぽん

Author:しょうかんぽん
傷寒論 厥陰病編が終わりました。
霍亂病の解釈は休憩にします。
ただ今、最初から読み直しています。
このブログのスタートの時とは、解釈に違いがあります。
より独創的な解釈になります。
しばらくお待ちください。
愛知の薬剤師、三品です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。