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236 陽明中風 小柴胡湯 麻黄湯

236「陽明中風、脉弦浮大、而短氣、腹都滿、脇下及心痛、久按之氣不通、鼻乾不得汗、嗜臥、一身及目悉黄、小便難、有潮熱、時時噦、耳前後腫、刺之小差、外不解。病過十日、脉續浮者、與小柴胡湯。脉但浮、無餘證者、與麻黄湯。若不尿、腹滿加噦者、不治。」

「陽明中風、脉弦浮大にして短気、腹都(つと)に満し、脇下及び心痛し、久しく之を按じるも気通せず、鼻乾き、汗を得ず、臥するを嗜み、一身及び目悉く黄ろく、小便難く、潮熱有り、時々噦し、耳の前後腫れ、之を刺せば小しく差えるも、外解せず。病十日を過ぎ、脉続いて浮の者は、小柴胡湯を与える。脉但だ浮、余証無き者は、麻黄湯を与える。若し尿せず、腹満し噦を加うる者は、治せず。」

196「陽明中風、口苦、咽乾、腹滿、微喘.発熱、悪寒、脉浮而緊。若下之、則腹滿小便難也。」
脉浮而緊が脉弦浮大とさらに発達したような脉証となっています。
196条では、陽明と太陰との混在により、浮になる熱(陽明)と緊になる悪寒(太陰)が同時に存在していました。
この236条では、陽明と少陽の混在となります。
少陽の弦に陽明の大となり、結果脉は浮となります。
脉証について、陽明の熱により血管径が大になる状況を考えると、浮にしかなりません。
もし、少陽の弦である血管の硬直が、陽明の熱の力より強いならば、脉は浮大にはなりません。
脉証の弦は血管の平滑筋の状態を現わし、浮と大は血管の形状を現わし、それは自律神経や血流量、ホルモンの影響を受けています。これらの影響が全て合計された状態が脉証になるからこそ、脈診が大切になります。
弦を少陽、浮を太陽、大を陽明と分割してはいけません。

少陽病は膜系のトラブルと考えるので、
胸膜、横隔膜、腹膜のトラブルにより、短気、腹部全体の満、脇下および心の痛みとなります。
「之を按じても気は通ぜず」ですから、医師は全体の気の流通が悪いと判断したので、按じてみたのでしょう。
「鼻が乾き、汗を得ず」は、気の不通だけでなく鼻粘膜に乾燥があり、そこから発汗が無い状況を知りなさいとなります。
「横に寝転がっていることを好み」ですから、しんどいと感じている程度の説明です。
ここから、時間が経過するに従って症状が増えてきます。
「全身および目が黄色になり」は黄疸が現れていると考えるか、血色の悪さが土色を現わしているかです。
「小便が出にくい」膀胱の括約筋が弛緩しているのか、再吸収が亢進しているのか。
「潮熱が有り」は、ここにきて発熱してきました。
「ときどきしゃっくりをする」は、横隔膜の痙攣が現れてきました。
「耳の前後が腫れ、針を刺せば少し良くなるが、解しない。」

そして「病気になって十日が過ぎる」
「脉が続いて浮の場合は、小柴胡湯を与えます。」・・・なぜ脉浮と書き、弦浮大と書かないのでしょうか。
「脉が浮だけ、その他の症状が無い場合は、麻黄湯を与えます。」
「小便が出にくく、腹満してシャックリがでる者は、治りません。」

脉浮だけで、他の症状が無い場合は、麻黄湯で良いとなる理由は、表の寒実だけになるというのですから、陽明熱が少陽の気の停滞を改善したと考えるか、時間が病気を治したと考えるのか、変化が無いと考えるのか、どれでしょう。
「脉が続いて浮」を、「10日経っても病が変わらず」という意味に解釈すると、陽明と少陽の病の場合、少陽から投与するという解釈になります。
そして少陽が解すると、気の流通が改善されるので、陽明熱は発汗と共に放散されることになります。
それでも、まだ脉浮を現わす場合は、熱の放散が徹していないと考え、麻黄湯を与えます。
ここでなぜ桂枝湯ではないのでしょうか。
それは熱の元が陽明だからです。
麻黄湯は熱の強制排除となり、桂枝湯ではそれができません。
このように考えた場合、発汗がある状態から麻黄湯を服用することになり、表寒実による無汗の前提に反しますが、それでも発汗を徹すことが目標なのでOKです。

不尿と小便不利と何が違うのでしょうか。
不尿は、尿が無い、全く尿が出ないことになります。
ということは、小柴胡湯を与えた結果、小便難が不尿になったことになります。
少陽熱を取ることが、機能低下につながる状況が脉弦浮大にはあることになります。

もう一度全体の様子を考えます。
陽明中風の症状は、いろいろありますがそれほど激しくはありません。
とにかく全体にしんどさが伝わってきます。
その理由は、少陽の気の流通の悪さが、陽明の熱を作りだし、その結果脉が弦浮大となっていると考えると意味が通ります。
症状に激しさがないため十日の経過観察をしていることになります。
経過観察をしているということは、診断ができないとも考えられます。
それは、医師が不治を予想しているから、小柴胡湯を与えずに十日間待ったとも思われます。
病に変化が無いので、小柴胡湯の投薬の決断をしました。
結果、気が通じ発汗と共に治る場合と脉浮だけが残り麻黄湯にて完治することができた場合がありました。しかしそれとは逆に、状態は悪化し、尿が止まり、腹が張り、しゃっくりが出て、死にいたる場合もありました。

小柴胡湯を与えてはいけない場合の陽明中風というのは、全身の機能低下を補うために脉弦浮緊となっている場合です。
全身の機能低下は、浅い呼吸と心痛、腹満に現れています。血液循環を維持するためにレニン・アンジオテンシン・アルドステロン系が活性化されます。腎での再吸収は促進され尿量は減少、津液は増加し、血管は収縮、健全ならば血圧は上昇するのですが、そうならないため、増加した津液は浮腫を起こし、しかしこの浮腫によって体内の圧が上がり、静脈環流を維持し心臓に血液を送る助けになります。他の臓器にどの程度の機能低下があるかは、「一身及び目悉く黄ろく」から肝臓のトラブルが確認され、血液成分の悪化が、続いて微熱を発し、全身の倦怠感と横隔膜の痙攣によりしゃっくりとなります。

この状態の橈骨動脈の血管平滑筋は、エネルギーの供給がないため弾力が無くなり硬くなり、本来ならばレニンによって血管は収縮されるはずですが反応なく、酸素の供給をするためなのか、または津液の増加による血液量の増加が血管を拡張しています。このようにコントロールができない状態に於いて、なお生命を維持するための状態が脉の弦浮大となっています。

ここで小柴胡湯を服用すると、気が通じ津液の停滞が解かれることによって、加圧がなくなり、血液循環が低下し、腎の糸球体ろ過ができなくなり、尿が製造できないことになります。
また脉浮大によって循環が維持されている場合は、利尿剤の使用も禁忌となります。

機能低下を補うために、発汗を止め、静脈環流を維持するために少し浮腫を起こし、心機能を助け、血圧や血流を維持している状態が、脉弦浮大になることを知っておかなければなりません。
この状態も、陽明中風となります。

陽明病における麻黄湯の使い方が書かれています。

都・・・(と、つ、ちょ)・・・すべて、おおむね、おおきい、さかん

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Author:しょうかんぽん
傷寒論 厥陰病編が終わりました。
霍亂病の解釈は休憩にします。
ただ今、最初から読み直しています。
このブログのスタートの時とは、解釈に違いがあります。
より独創的な解釈になります。
しばらくお待ちください。
愛知の薬剤師、三品です。

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