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180 桂枝附子湯 去桂加白朮湯

180「傷寒八九日、風湿相搏、身体煩疼、不能自転側、不嘔、不渇、脈浮虚而濇者、桂枝附子湯主之。若其人大便鞕、小便自利者、去桂加白朮湯主之。」

「傷寒八九日、風湿相搏ち、身体煩疼し、自ら転側する能はず、嘔せず、渇せず、脈浮虚にして濇なる者は、桂枝附子湯之を主る。若し其人大便鞕く、小便自利する者は、去桂加白朮湯之を主る。」

この条文がここに置かれている理由は、前条と同じく脉浮であるためです。
太陽病における外寒による脉浮ではない脉浮です。

脉浮虚而濇とは・・・脉証に虚と表現する理由はなんですか。
浮沈の浮・・・橈骨動脈の血管径の大きさ
濇・・・渋る脉波の形
虚・・・虚実の虚、脉全体の状態の表現
一般的には、浮緩、浮緊、洪、弱などの表現が使われているのに、なぜ虚という表現になるのでしょうか。

風と湿が絡み合って、身体がとても痛く、寝返りさえ打てない、それほど体の筋肉は緊張しているのに、内臓のトラブルは「不嘔、不渇」とありません。それならば、脉にも緊張感が有っても良いのではないでしょうか。
極端に考えれば、脉浮緊となりそうなところ、実際は脉浮にして虚となっている。それは緩でも弱でもない。
想像するに、虚であるところの脉証をいろいろ見せ、弱さを脉から感じるのでしょう。

前条からの関係でいえば、
「不嘔、不渇」から、表裏倶熱が無いことが分かります。
ならば脉は浮にはならないはずです。

「全体に寒熱が診られず、内臓のトラブルも無く、ただ体痛が激しい。」
「脉証は、浮、力無く、渋る。」
以上より考えられることは、何かによって筋肉組織への気血の流通がストップしています。
流通の改善の為に、附子を使い、脉浮を示している表に対して桂枝を使っています。
この何かを「風湿相博」とし、この状態の病理として考え出されたものです。

この条文を解釈する時、最初から風と湿が存在するとことを前提に考えるのは、おかしなことです。風と湿が相博つことが診断より先に前提となることはありえません。全ては症状の診断から始まるからです。
しかし、「風湿相博」と先に書かなければならない理由は、これまでの条文の流れの中に於いても特殊な状態だからです。

「若し其人大便鞕く、小便自利する者は、去桂加白朮湯之を主る。」
「去桂加白朮湯之を主る」になるためには、脉浮ではないことが予測できます。

「桂枝附子湯を服用し、筋肉組織に気血を流通させることができたが、表に気血が集まり過ぎたため、大便が硬くなり、小便の回数が多くなってしまった。つまり裏虚が現れたのです。その場合には、去桂加白朮湯を服用しなさい。」

もう一度条文を見てみましょう。
「体痛が激しい以外は、正常です。しかしその症状の激しさに対し、脉証は弱々しい浮であり、渋る感じがします。これは外寒だけでは考えられません。裏熱も裏虚も見当たりません。陰陽の問題ならば、昼夜により症状の変化が診られるはずですが、それもありません。気虚だけでは、これほどの体痛は現れません。これは体表に巡るべき気血が止められているということしかわかりません。これを打破するために、桂枝と附子の桂枝附子湯を使います。もしも服用後、大便が硬くなったり、小便の回数が多くなりすぎることがあったら、それは体表に気血がシフトし過ぎたため、裏虚の状態になったからです。その場合は、桂枝を去り、量を減らした去桂加白朮湯を服用して、裏に気血を戻してください。結局この場合の見えない邪は、風と湿の相互作用と考えました。それぞれ単独では症状を現わさないほどの邪であっても、時としてこのような激しい病状となります。」


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しょうかんぽん

Author:しょうかんぽん
傷寒論 厥陰病編が終わりました。
霍亂病の解釈は休憩にします。
ただ今、最初から読み直しています。
このブログのスタートの時とは、解釈に違いがあります。
より独創的な解釈になります。
しばらくお待ちください。
愛知の薬剤師、三品です。

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