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43 桂枝加朴杏仁湯

43 「太陽病、之を下し、微喘する者は、表未だ解せざるの故なり、桂枝加朴杏子湯之を主る。」

前条では「外證未解」、この条では「表不解」となっています。
(「證」の字の存在理由も、「表裏、内外」の説明もはっきりしませんが、このまま進みます。)
前条では、先に外証不解とし全体像を示しながら、1症例を示しました。
この条では、「微喘する者」を「心下有水」の為ではなく、「表未解」のためである。このとき桂枝加朴杏子湯が最適ですと書かれています。
このときの「表」とは、皮膚組織(体表)です。
しかし皮膚の状態が悪いということは、肺の状態も悪いことになります。
肺気虚というのは、内の問題と考えません。
体表と肺の関係は、正常な生理関係だからです。
表が悪いから、「症状がある」かというと、ここでは「症状は無い」と考えます。
その理由は、表の症状があるならば「表未解故」と書く必要がないからです。
もっと言うならば、脈浮も無いと思います。
「太陽病、之を下して内外全てが治った。しかし微喘がある。診察をしても原因が特定できない。この場合は、表が未だに治っていないと考え、桂枝加朴杏子湯を使いなさい。(脈浮があれば、桂枝湯になります)」

肺気虚をこの場合に病態の主と考えるならば、傷寒論ではなくて臓腑論、金匱要略において考えてください。

「心下有水」は下して無くなることがあるのでしょうか?
「之下」には「反」の字がないため誤治とは考えません。
つまり、この条文は一般的な場合に戻っていることになります。
これまでの条文にも「下之後」「或下之」と「太陽病、之を下し・・・」とは、よくある文章です。
42条までの流れから、一般論における内に邪がありそれを下したが、表のトラブルが残っている場合をいっています。

桂枝湯と桂枝湯加厚朴杏仁の違いはなんでしょうか?
前条のように、脈浮であれば表のトラブル存在に気が付き桂枝湯になります。
診断において病的なものが見つからないのに、微喘がある場合に桂枝湯ではなく桂枝加朴杏子湯になるという条文ですので、桂枝湯の効能に厚朴杏仁の効能を追加した処方と考えると、その時点で表証は有り、脈は浮となり、「表未解故」を記述する理由がなくなります。
突破口は「喘」の扱われ方から、病態を考察してみることです。
この問題は、後に残しておきます。

私の経験上、浣腸を良く使っている家族がいました。発熱すると、まず浣腸をし、排便を促します。それでも治らない時に来店して漢方薬を買っていました。当然陽明病とか内実があるとかではなく、表邪に対してファーストチョイスが強制排便なのです。家ですぐにできること、本人が薬を飲むこともなく強制的にできることなどから、こどもに対しても便利なのでしょう。

そう考えると、「太陽病、之下」で治る場合もあるとなります。
となると、「心下有水」も下して無くなることがあることになります。
現代において、吐方下方の使用経験は少ないと思います。私も家族で試したことはありません。そうなると明治以前の諸医家の使用経験に基づき考察すると良いのですが、吐方下方の復活は無いと思うので、このままにします。しかし、傷寒論の解釈上、必要になるかもしれません。
近年になるまで、回虫、ギョウ虫、サナダムシなどの寄生虫の駆除はなされていません。当然この後漢時代にも,寄生虫は多かったはずなので、発熱した時に下すということは、二つの意味において正しいと思われます。
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プロフィール

しょうかんぽん

Author:しょうかんぽん
傷寒論 厥陰病編が終わりました。
霍亂病の解釈は休憩にします。
ただ今、最初から読み直しています。
このブログのスタートの時とは、解釈に違いがあります。
より独創的な解釈になります。
しばらくお待ちください。
愛知の薬剤師、三品です。

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